命を救った奇跡、オ・ジェソクによって書かれた『希望の賛歌』

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リベロの河童
投稿者: ( 河童戦術ブログの管理人 )
公開日:2017年06月24日( 5か月前に投稿 )

スポーツ朝鮮というサイトに、ガンバ大阪のオ・ジェソクの話題が載っていたので訳しておきます。記事タイトルは『命を救った奇跡、オ・ジェソクによって書かれた”希望の賛歌”』でした。なお、朝鮮語はどうしても機械にお手伝いいただくので意訳としていただければ。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/06/22/2017062200392.html

 

手術を成功し終えた後、オ・ジェソク(右)の合宿場所である沖縄を訪れたパク・ソヒョンさん(中央)と婚約者ギムボムジュン氏。

 

 

「(オジェソクは)私の人生に希望と光を与えてくれた方です。」

激しい風が吹いていた2016年11月。乾燥した木の枝より痩せ細った体で、パク・ソヒョンさん(36)は、日本行きの飛行機に乗った。元気がなかった。当時、彼女の人生、将来は暗澹たる灰色だった。窓の外の目に入ってきた青い空と日本海は最後の「青い記憶」になるだけだった。パク・ソヒョンさんは珍しい難病「肺高血圧症」の患者である。

2~3年、長くても4~5年と言われていた。パク・ソヒョンさんはちょうどその時期であった。ワラにもすがる思いだった。「あきらめないで」という周りの声さえも力が無くなっていったとき。胸に残っていた最後の「希望」が「絶望」に変わって行っていた。「どうしよう…本当に死が迫って来たなぁ」

 

 

絶望的で恐ろしかった。

世界の終わりのような孤独が押し寄せてきた。

何よりもひどく痛かった。

 

自暴自棄の状態で、大阪国立循環器病院へ入院した。5回の手術を受ける予定だった。最初の手術を控えて担当医が「今日一日通訳をしてくれる韓国人がひとりきます」と話した。ただの学生かなんかが来るのだと思った。

 

パクさんの前に現れたその通訳はオ・ジェソク(27・ガンバ大阪)だった。

「留学生だと思った。サッカー選手だとはまったく知らず、本人も明かさなかった。」

 

 

これが縁の始まりだった。

 

ずっとサッカーで忙しいオ・ジェソクがどうして病院まで来ることになったのか。それは偶然だった。

実は担当医師と(オジェソクには)接点があった。いつも通う焼肉屋があった。パク・ソヒョンさんの事情は担当医師の口から焼肉店の社長へ、また焼肉店の社長からオ・ジェソクへ伝わりそして心を揺さぶった。

その事情を聞いたオ・ジェソクはチカラになることを決めた。暇が出来るたびに病院を訪れた。そしてとても丁重だった。医師や看護師に「患者をよろしくお願いします」と毎回のように言っていた。日本の番組しか放送されない病室では、患者が退屈だろうとタブレットに韓国のテレビ番組を入れて渡したりもした。

病魔と戦うための基本は食事である。日本の食べ物が口に合わないかもしれないと韓国料理を空輸してもらった。オ・ジェソクは自分の母親に電話をかけて韓国料理をお願いした。パク・ソヒョンさんは「なんというか、完全に別次元の「善良」を感じました。レベルが違った。生まれて初めて見る人に有名選手が身分を明かさないまま、自分のことのように私のすべてを用意してくれた」と語った。

オ・ジェソクは忙しいチームスケジュールの中でも必ず病院を訪れた。他意はなかった。ただ生きてほしいとだけ願った。小さな力でも協力したかった。

 

切実さが空に届いた。オ・ジェソクを通じて絶望のなかでも希望を見つけたパク・ソヒョンさんの状態は急速に好転した。

パク・ソヒョンさんは「健常者の心電図数値は15~18くらいです。日本に来たとき、私は600でした。血管の90%以上が詰まっていた。ところが、5回の手術をすべて受けて、今では30程度まで低下した」と話した。続けて「オ・ジェソク選手はどんな言葉でどのように表現したらいいのかわからない。私に人生の希望を取り戻してくれた。そして、光があることをもう一度教えてくれた人」と話した。

 

奇跡、という言葉しか適切な表現がない。この病気で手術を受けた患者は、短い距離をゆっくり歩けるようになるのも滅多に無い。パク・ソヒョンさんはゆっくりと走ることができる。空前絶後のことだった。

もう再び吸えないと思っていた外の空気は、感謝そのものだった。酸素よりも感謝する存在がまさにオ・ジェソクだった。

パク・ソヒョンさんは、新しい人生を得た。彼女は来年2~3回の手術を受けた後、8年間交際している婚約者と結婚する予定だ。オ・ジェソクは将来のある家庭を救った。

 

しかし肝心のオ・ジェソクは淡々としている。やるべきことをしただけだと話した。彼は「回復して本当にうれしい。痛く苦しんでいる方に、少しでもチカラになることができて良かった。私だけでなく、多くの方々が韓国人患者のために腕まくりしているのを見てジーンとなった」と話し、「ソヒョン姉さんの第二の人生に、幸せで良いことだけがいっぱい訪れるよう心から願っている」と述べた。

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